意思薄弱過ぎる(淫
らな妄想をもつだけでも)
はじめに、イエスさまよりも聖霊さま
が最優先。
自分が長年所属したカルト教団は、ペンテコステ派以上にさらに聖霊の働きを強調しているのです。だから頻繁に「御霊(みたま)」と言う言葉が使われるので
す。
なにか病になれば、『肝油の儀式』というのが、ヤコブの手紙5:14に、「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の何によってオリーブ油を
塗り、祈ってもらいなさい」と書かれております。
長老とは、ほぼ全員の成人男性が長老と解釈されています。オーリブ油を塗るとは、頭に一滴たらし、病気の人の頭などに手をおいて祈る事です。
そのためには、全ての男性教会員は清い生活をする義務があり、それをしなければ、その人の心の中に聖霊の影響力を失うので、上記のような祈りを捧げても無
効となるのです。
イエスさまよりも、聖霊さまのほうが優先されるのは、儀式が多すぎる事だと思います。
儀式を行うには、清い生活をする義務が生じるからです。
純潔の律法と聖徒の道徳
の標準とは。
道徳の基準は個人の自己判断や自己責任にもとずくものではなく、教団の指導者が神様の預言者であり、そのことばに従わなければならないのです。
自分の判断で決める猶予は全く無いのです。
考えただけでも姦淫の罪を犯すのと同じなのです。そこから、あらゆる文化的メディアを教団指導者が、この作品は観ては駄目、これは観ては良いと決められる
のです。
だが、それを全て遮断しても、より「えっちなもの」に、かなり鋭敏になるのです。
電車で隣の女性の膝が見えただけで、いままで何とも思わないものでさえ感動するほど異性を鋭敏にとらえるのです。
当然、女性のスポーツ選手がでるだけで、または、テレビドラマで別にいやらしい場面でなくとも、ちょっとした露出度の服装でも、いままで意識しなかったこ
とでも、異常なほど性的興奮を受けるのです。
ためしに、20代の若く健康の男性が、それらの視覚的情報を遮断すれば、些細なことでさえ、興奮を覚えるのです。
そのために、厳格に、ちょっとでも性的なものを見ないように指導させられるのですが。
また女性は男性を引き付けるような服装を一切しないように指導されるのですが。
そのため女性の服装基準もロングスカートが標準であ
る。脚を一切出さない、腕と
顔だけ出しなさいという状態です。
たしかに、キリスト教会でも道徳上、ポルノや性的な情報を極力受け入れないことを警告されています。結果的には婚前の性的接触を避けるべきなのですが、そ
れも行き過ぎると「淫らなことを考える自分が情けない」その
「なさけない自分」がとても不甲斐ない気持ちになるのです。自分の弱さを徹底的に知らされるので、自分は駄目だと思い自信を失うのです。そのため信仰を
持ったことを後悔する人がいるのです。
謙虚さが自信喪失、頼りないと言う『悪魔の辞典』
信仰を真面目にとらえる人ほど、または(たとえ間違えた)神様を畏れる気持ちを持つと、自分の思いを自在にコントロールできると言うのが教団の主張です
が、自分の思いはなかなかコントロールするのは無理なのです。
それで謙遜になると、周囲からは自信なさそう、頼りなさそうという表面的な評価を受けるのです。
淫らな思いを抑えようとすればするほど、その思いが強くなる。
淫らな思いを抑えようとするほど、性的なものに鋭敏になる傾向があり、些細な情報でさえ、無意識に淫らなことを考えてしまうのです。
淫らの事を考えたりする人には、神聖な神様の儀式を執り行う資格は無い、聖なる場所に入る資格も無い、いや、淫らな思いを考える思考習慣を持つだけで、聖
なる場所に入れば、一切の祝福が受けられないと言う事です。
英語直訳的の戒律解釈が原理主義者を遥かに超
える!
日本人とアメリカ人(英語を話す白人)と文化的比較をすると、日本人の国民性は真面目すぎるので、行き過ぎるくらいでも、それに越した事は無いという考え
があるため、日本人がリーダーになると、本部からの警告や勧告を、直訳的に解釈して、極端な解釈になるのです。
たしかに原理主義者でも、ある情報(週刊誌の写真を見て)から、女性達は意外とラフな服装です。そのかわり過度に露出した服装はないです。
日本の場合は、興奮剤があるものは避けなさいと言われると、コーヒーは駄目だと言われると、それに含まれているカフェインが身体と心を汚すと解釈するので、ココアも駄目、チョコレートも食べ
てはいけないと解釈されるのです。そのため、米軍基地の信者は
平然とココアを飲みチョコレートを食べるのに、日本人の信者だとそれは「教団のリー
ダーが言った事だから、あなた達のほうが間違えているでしょ!」と本部がある本国の人以上に厳格に守るのです。
当然、男性雑誌や少年誌のグラビア、または写真集などは、そのような団体では、絶対に観てはいけないもの。たとえ過度に露出していないものでも駄目なので
す。
だから、グラビアがない新聞や雑誌を買わないで、それを読む暇があれば、教団発行の雑誌を読みなさいと言うのです。
禁酒禁煙の徹底化で、レストランで出されたものでも、「これはワインを使って料理したものですか?」と店員に尋ねるのです。本国のアメリカではまずありえ
ない光景です。さらに、矛盾と取れるのが、日曜日(安息日)には、人を働かせてはいけないということで、日曜日には買い物を一切しない。だから途中で自動車のガソリンが切れたら、道の隅に寄せて月曜日に自動車をガソリンスタンドま
で押していく。それが美談とされるのです。それなに、電車やバスで来る人もいるのは矛盾していると思います。だからテレビは観ないからテレ
ビが置物になってしまっている。ニュースも見ない。新聞でしか世の中のことを知ることができないのです。極限的で直訳的な戒律解釈が日本人の指導者が行う
と、まったく融通かが利かないパリサイ人みたいな状態になるのです。それを守らないと地獄に堕ちると脅すのですから。
当然、淫らな思いをしただけで、地獄に落ちると言うのです。それは「あなたの意思が弱いだけでしょう」ですまされるからです。
このページで最後に付け加えることは、
同性愛壁の熱心な信者の自殺が頻繁に起きていることです。
同性愛の性癖を悔い改めなければ、あなたは地獄に堕ちます。正しい事を知っていながら行わない人は、それを知らない人よりも厳しく裁かれます。たった一つ
だけ戒めを破れば、全ての戒めを破ったと同じことになるのです。だから、あなたには救いは無いですよ。と冷酷な宣言を受けると、過度の鬱病にかかり、最終
的には自殺へと追い詰められるのです。
教団ではどんなに意思が虚弱な人でも、全ての人に平等に聖霊の力を与えているから、克服できない罪は何も無いと断言しているからです。
それが出来ない人は信仰が無いから地獄に堕ちる、生きる資格は無いと宣言しているような物です。だから、そのような人は、常に罪悪感を感じており、どんな
に信仰深くても欠点一つあれば、他の良識的な事で、どんなに頑張ってもそれは神様は、その正しい行いを一切省みない。一つだけの罪で確実に地獄に堕ちる!
と教団の公式見解です。
繰り返しますが「淫らな思い」も、同性愛の性癖も、どんなに意思が弱く精神的に強弱
な人でも、聖霊さまの力で確実に癒されるから、どんな罪でも信仰さえあれば確実に悔い改められる、それが出来ない人は地獄に堕ちると宣言し
ているのです。
カルト信者ほど、神様は恐ろしい支配者という意識を植え付けるので
す。
そのような戒律が守れないために自殺は、いつの時代でもあるのです。
最後に証と信仰宣言をします。
どのような罪を犯した人でも、イエスキリストが罪を購ってくれました。それを信じるだけで充分です。
イエスを裏切ったペテロとユダ。ユダの最大の罪は、イエスを奴隷のように、ローマ兵に引き渡したことではなく、それらの罪を赦してもらえるという信仰を失
い自殺した事です。
ペテロは三度嘘言って、逃げ出しイエスを裏切りました。でも、イエスの前で三度、主イエスさまと兄弟姉妹たちクリスチャンを愛するかを言わされました。
ペテロはパウロに追い抜かれて、パウロの教えに乗っ取られたのではなく、ペテロもキリストの購いを信じて、罪を赦されるという信仰を捨てなかったので、教
会の初期の指導者になったのです。
罪を、もし犯した人がいたとしても教会は人を裁かないです。もし罪を犯す人を裁く教会はカルトです。
罪悪感を感じている人は、おそれずにキリストの身元に戻る事を薦めます。
クリスチャンは完全な人はいません。誰でも間違いを犯します。
恥ずかしがる事も、恐れる事も無いと思います。
信仰する者達を厳しく裁くイエスキリストは信じません。信仰を持ち罪を購ったイエスキリストをます。三位一体の神様を信じます。
以上です。
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